(すごいですね。なんで地域全体でトマトにシフトしたんですか?)
「やろうぜ!」って感じだったんじゃないですかね(笑)。僕の祖父、つまり3代目の頃にうちもトマト農家になりました。八代では、夏は暑すぎてトマトが育たないので、メロンとセットで栽培するのが定番なんです。僕たちも最初はトマトとメロンの両方をやっていました。夏はトマト農家はお休み。8月のお盆ごろに苗を植え、10月上旬から収穫開始。翌年6月いっぱいまで続きます。収穫が終わるとハウスを片付けてひと段落。だから7月は家族旅行に行く農家が多いんです。この地域では、平日でも学校を休んで旅行に行くのは当たり前(笑)。“今しかない”が通用するんですよ。
僕は22歳で就農して、今年で11年目ですね。でもこれでも遅い方で、高校卒業後すぐに農業を始める人も多いです。
(農家の5代目として生まれて、すぐに継ごうとは思わなかったんですか?)
ずっと農家にはなりたくないと思っていました。家族の仕事を見て「汚い、きつい、臭い」と思っていたし。でも特に夢もなくて、普通科の高校に進んで、大学を目指してたけど、最終的にはアパレル系の専門学校へ。卒業後は1年間だけアパレルで働きました。そのころから「親の力になりたい」と思うようになって、戻ってくるなら農業を継ごうと。21歳のときに農業の学校へ進学しました。
滋賀県にあるタキイ研究農場附属園芸専門学校っていう、種苗会社が運営している全国でも最も厳しいと言われている農業学校です。携帯禁止・男子寮で共同生活。東京ドーム13個分の敷地を1年間耕すんです(笑)。
(なぜその学校を選んだんですか?)
21歳で「農家やる」って言ったら、父に「絶対させない」って言われたんです。代々続いてるからこそ甘く見られたくないって。そのとき父が「この学校に行ってきたら継がせる」と。訳もわからず面接を受けて合格。たぶん八代のトマト農家の子どもってことも大きかったのかな(笑)。そこでどっぷり農業に浸かって、好きになりました。農業に熱い仲間たちと生活するうちに、自然と好きになりましたね。
帰ってきてから4年後、26歳のときに、土耕栽培のハウスが台風で全壊しました。そのとき、いつかやりたかった新しいハウスの話を父にしたら、「1円も出さんけど、やりたいならやれ」と。そこで1億円借りて建てたんです。
(そのとき、どんな気持ちでしたか?)
僕、かなりのめんどくさがりで、やるしかない状況にならないと動かないタイプなんです(笑)。だから22歳で就農してから4年間は、正直ダラダラしてました。元気な親の下で、指示されたことをこなすだけで。だから変わりたかったし、1億借金すれば、やるしかなくなる(笑)。もちろん、借りられたのも家族の歴史があってこそ。そこに感謝しています。今は順調に返済も進んでいます。